「しまった…」
頭を抱えて見上げる先には、「運行見合せ」の電光掲示板の文字。
「新聞紙を被って寝ると、意外と暖かいらしい」という嘘か本当かわからない通説が頭の中を過った。
鮎沢美咲、17歳。
――路上生活初体験の危機に晒されていた。




嵐の夜に 1




その日、星華高校周辺は大雨に見舞われていた。
交通機関からは次々と運行中止決定の報せが入り、授業は中止。
教師は生徒の帰路を確保、それが出来次第帰宅させる作業に追われた。
そんな中、生徒会長である美咲は当然サポートを行っており、
一緒にサポートに回っていた生徒会メンバーを全員帰宅させた頃には教師を除いて最後の二人となっていた。
最後の一人にならなかったのは、美咲から何度「帰れ!」と怒鳴られても帰らなかった生徒が残っていたからである。
溜息をつきつつ、美咲はその残っている生徒―碓氷に向かって口を開いた。
「さて、これで全員片付いた訳だが…お前はなんで残ってるんだ?何度も帰れって言っただろ!」
「会長冷たーい。俺が会長一人残して帰るわけないでしょ?」
いつものように美咲の怒声を飄々と受け流しつつ、それに…と碓氷は続ける。
「それにきっと、後で俺が残ってた事にすっごく感謝するよ?」
「何だよ、それ」
ニヤリ、と意地悪く釣り上った口角に美咲の胸を微かな不安がよぎる。
が、そんな物は次の碓氷の台詞で粉々に吹き飛んだ。


「ミサちゃんが『教えてください、ご主人様』って可愛くおねだりしてくれたら教えてあげるv」


「言ってろ、この変態宇宙人が!!私はもう帰る!!」
腹立ち紛れに鞄を勢いよく机の上に乗せ、座っていた椅子を片付ける。
そのまま生徒会室を出ると碓氷も出たのを確認し、鍵を閉めた。
途中職員室に寄り、帰宅する旨を告げて昇降口へと向かう間、碓氷は一言も声を発さず黙って後ろをついてくる。
美咲は、この男が苦手だった。
セクハラしてきては突然離れてみたり、何がしたいのか全くわからない。
その上事あるごとに「アンタも女の子なんだよ」と繰り返す。
今まで関わった人間の中で、同じ行動パターンの人間はいなかったのでどう対処したらいいのか判断がつかない。
一体、何を考えているのだろう?


悶々と美咲が考え込んでいると、突然背後から碓氷に腕を掴まれた。
「何するんだよ!」
驚いて振り払うと、逆に訝しげに「そういう会長はどこに行く気なの?」と問い返された。
「昇降口に決まってるだろ…「過ぎてるよ?」」
はっとして周囲を見回すと、既に昇降口は遥か後方へと過ぎ去っていた。
「何度か声かけたんだけど、全然気づかないんだもん」
すまん、と返事をして昇降口へと引き返す。
考え事をしているうちに通り過ぎてしまったらしい。
「何か悩み事?随分真剣に考え込んでたみたいだけど」
まさか本人に「お前のことで悩んでいる」と言う訳にもいかない。
それに正直に言ったところで、いつものセクハラに繋がるのがオチだ。
靴を履き替えつつまぁな、と適当に返すと「ふぅん」と言ったきり、追及はされなかった。
突っ込んだ質問が来ない事にこっそり胸を撫で下ろしつつ駅へと急いで――冒頭へと繋がる。




きちんと運行中止時間は確認していた。あと30分は余裕があるはずだ。
忙しなく動き回っている駅員を捕まえ、理由を聞いてみたがはっきりとした答えは返ってこない。
明確になった事は、「余程の奇跡が起きない限り今日自宅に帰る事はできない」という絶望的な事実のみ。
メイド・ラテ方面への電車も運行中止となっており、身を寄せる事はできない。
偶然バイトが休みだったのが不幸中の幸いだが・・・帰る事ができないのでは話にならない。
いっそのこと学校に戻ろうかと考えていると碓氷が背後から声をかけてきた。
「うちの学校、川の側だからあぶないよー。先生たちも帰り支度してたからもういないだろうし」
まるで頭の中を読まれたかのようなタイミングでの返事に顔を顰めると、更に返事を返された。
「別に頭の中は見えないけど、会長考えてる事が顔に出てるんだもん。…で、どうする気?帰れないでしょ」
冷静な問いに美咲はうっと言葉を詰まらせる。
碓氷の言っている事は正しい。
教師が必死になって生徒を帰宅させた大きな理由はそれだし、確かに職員室に残っている教師は帰り支度をしていた。
となると、残る手段は・・・
「まさか野宿する気じゃないよね」
的確に指摘され、悔しさと腹立ちが一気に込み上げた。
「仕方ないだろ!他にどうしろって言うんだよ!っつーか、そういうお前こそどうする気なんだよ!!」
捲くし立てるように疑問を口にすると
俺の家、案外近いから歩いて帰れるんだよねー、と返された。
そういえば以前、看病に行った碓氷の家はそれほど遠い街ではなかった。
歩くにしても一駅くらいの距離だろう。歩けない事はない。
だからこそこんなにも余裕なのだろうと思うと、余計腹立たしい。
「なら、人の事に構ってないでもう帰れよ!」
「俺が帰ったら、会長野宿する気でしょ。そんなの・・・」
不意に途中で言葉を不自然に切り、碓氷は美咲の耳元に唇を寄せた。
「許せるわけない」


低く耳元で囁かれ、得体の知れないものが美咲の背筋を這い上がる。
ぞくり、とした感覚に一瞬体を震わせ、歯を食いしばった。
(・・・まただ)
碓氷と話していると、時折この感覚に襲われる。
今まで経験したの事のない、奇妙な感覚。きっと自分の顔は真っ赤に染まっているに違いない。
他の人間と話していても、こんな感覚を味わった事はなかった。
だから、どう反応したらいいのかわからなくなってしまう。
これも碓氷を苦手だと思う一つの要因だった。
既に耳元から離れた碓氷の顔を睨むと意地悪く釣り上った口元が目に入る。
きっと、自分のこの感覚の事も彼は気づいているのだろう。
知っていて、からかっているに違いない。
(――ムカツク)
ちっ、と舌うちをして赤くなった顔を隠すように背ける。
そんな自分を見て彼が更に笑みを深めている事など知らず。
「家に帰れなくても、野宿しなくて済む方法が一つだけあるよ。お金もかからないし」
「え?」
思いもしない碓氷の言葉に、思わず視線を戻すと先ほどの意地の悪い笑みは既になく。
彼は白々しいほど爽やかな笑みを浮かべていた。
予想外の表情に何故か危機感を覚えて思わず二、三歩後ずさると、下がった分だけ相手は距離を詰め、おまけにそこから一歩踏み出してきた。
至近距離で見つめられ、頬が更に温度を上げる。


「俺の家に泊まればいいんだよ」


またしても耳元で囁かれた言葉に、思考が停止した。
今、この変態は何と言った?
「だってさー、他に方法ないよ?家に帰れなくて、学校もメイド・ラテも無理でしょ。帰れるの俺の家だけじゃん」
「さっ、さくらかしず子の家に・・・」
「そっち方面は電車動いてるの?」
「うっ・・・」
さっき見た電光掲示板を思い返し、言葉に詰まる。
確かに碓氷の言っている事は正しい。
こんな天候の中、どこにも行くことはできないし野宿だって出来れば避けたい。
交通機関の復旧を待とうにも、この雨では当分復旧しないことは明白だ。
だが、しかしである。
変態宇宙人の家に一泊?二人きり?セクハラ?
様々な単語が美咲の脳裏を駆け巡る。
いくら自分が女らしくないとはいえ、碓氷は男で自分は女。
高校生ともなれば、それなりに色々な知識だけはある訳で・・・
「何想像してるの。顔真っ赤にしちゃって、ミサちゃんってばやらしーんだー」
ループに陥りかけた思考に歯止めをかけたのは碓氷の一言だった。
はっと気付けば、至近距離にいたはずの男は一歩下がりいつもの距離に戻っている。
・・・ニヤニヤ笑いを浮かべながら。
「俺が変な事するとでも思ったんでしょ。ミサちゃんってばやらしー」
同じ言葉を再度かけられ、美咲の中で何かが音をたてて切れた。
「お前じゃあるまいし、そんな事誰が想像するか!!」
「へぇ。じゃあ、なんで赤くなってるの?」
「赤くなんてなってない!」
「ふーん。別に変な事想像した訳じゃないんだ?」
「当たり前だろ!!」
「じゃ、俺の家に泊まっても問題ないよね?」
「問題ない!!」
「女に二言はないね?」
「ない!」
はっ、と気付いたが、時すでに遅し。
「いや、今のは・・・」
「女に二言はないんでしょ?」
爽やかに遮られ、返す言葉もない。
かつてこれほど自分の性格を恨めしく思った事はあっただろうか。
そしてどんなに自分の性格を呪っても、当然ながら吐いた台詞は戻ってこなかった。
「じゃー行こっか」
やけに上機嫌な碓氷に連れられ、溜息をつきつつ美咲は駅の外へと歩き出したのだった。





⇒2(coming soon)