Invisible-前-





目を覚ますと、見なれない天井が目に入った。消毒液の匂いが鼻を突く。
少し視線を動せば、水色のカーテンが視界を横切った。


(……ここは……保健室?)


体を動かすと腹部鈍い痛みが走り、美咲は顔を顰める。思わず微かに呻いて腹部に手を伸ばし……それを阻まれた。
誰かが手を掴んでいる。
不思議に思いそちらに目をやると、ベッドの横に座ってこちらを見つめる男子生徒と目が合った。その手は美咲の右手をしっかりと包み込んでいる。


「碓氷……?」


掠れた声で男子生徒の名を呼ぶが、返答はない。
包みこまれた手はあたたかなのに、その視線はどこか冷たくこちらを射抜くように向けられている。
その冷たさに戸惑い、美咲はそれ以上言葉を紡ぐことができずに黙り込んだ。


静かな室内に時計が時を刻む音と部活に勤しむ生徒の声だけが響く。
暫しの沈黙の後、やっと碓氷が口を開いた。


「自分がどうしてここで寝てるかわかる?」


その言葉に、硬直していた美咲の思考がようやく動き始める。
放課後、生徒会室で目安箱に入っていた要望の仕分け作業をしていたら、その中に一通の手紙が入っていたのだ。
文面には美咲への不満が綴られており、話し合いという名目で裏庭に美咲を呼び出すものだった。
その上、もし来なければ校舎の窓ガラスを割って回るという何とも物騒な注釈付き。


話し合いとは名ばかりであろう事は美咲にもわかっていたが、ガラスを割るような事件が起きればまた星華の評判が下がってしまう。何としても事前に食い止めなければならない。
呼び出しの時間が迫っていた事もあり、「返り討ちにしてくれるわ!!」と一人で向かったものの……人数が、予想以上に多かったのだ。
いくら美咲の腕が立つとは言っても、多勢に無勢。半分ほどの男子を伸したところで当て身をくらい、気を失ってしまった。
意識を手放す寸前、「鮎沢!!」という切羽詰まった叫び声が聞こえた気がしたが、恐らくあれは碓氷の声だったのだろう。


「覚えてる。……お前が助けてくれたのか?」
「そう。幸村が血相変えて呼びに来てくれたんだよ。…ねぇ、鮎沢。なんで一人で行ったの?」


碓氷の視線が、鋭さを増す。


「俺、何度も言ったよね。鮎沢も『女の子』なんだよ?今回は俺が間に合ったから良かったけど、取り返しのつかない事になったらどうするの」
「……」


碓氷の言葉に、美咲は目を伏せた。確かに、碓氷が来なければ今頃どうなっていたかわからない。日頃の欝憤を晴らす為に、意識のないまま袋叩きに逢う可能性もあったのだ。


「……ごめん、次から気をつけ…」
「それ毎回聞いてるよ。……口で言って理解してもらえないんだったら、体で覚えてもらうしかないかな」
「……え?」


碓氷の言葉の意味が理解できず、聞き返そうとした途端に口付けで唇を塞がれた。
驚いて押し返そうとするが、布団の上から圧し掛かられてしまい身動きが取れない。熱い舌が唇をなぞり、美咲の口内へと侵入してくる。
くちゅくちゅという唾液の絡まり合う音が室内に響き渡り、羞恥心を煽られた。
学校でこんなことをしてはいけない、と頭の中ではわかっているのに、快楽を知っている体は言う事を聞いてくれず。上顎のあたりを刺激している碓氷の舌に、自ら舌を絡めてしまう。
途端にきつく吸い上げられ、背筋を快楽が走り抜ける。


「ん……、ふ…ぁっ……」


洩れる声を抑えきれなくなってきた頃、碓氷の指が襟元を探っている事に美咲は気が付いた。最初は何をしているのか気付かずぼんやりとされるがままになっていたが、カチリという金属音にはっと我に返った。


渾身の力で碓氷を押し返すと、碓氷の掌から制服のリボンが落ちる。
先程の金属音はやはり、リボンの留め具を外す音だったのだ。


「やめろ!!ここをどこだと思ってるんだ!?」


碓氷は名残惜しげに唇を拭いつつ、「保健室」と事も無げに返してくる。


「そうだよ、学校だよ!お前、何考えてるんだよ!?」
「こういう事になったらお仕置きされるって体に教え込もうと思って。口で言ってもわかってくれないんだから、仕方ないでしょ?」
「お仕置きって……!!」
「いつ先生が戻ってくるかわかんない状態でするのって、スリル満点だと思わない?」


碓氷の言葉に、美咲の紅潮していた頬がさっと蒼くなる。壁の時計に目を走らせると、時計の針は5時を僅かに回ったことを知らせていた。
職員会議は5時まで。教員が戻ってくるのも時間の問題だろう。碓氷の言っている内容はもちろんの事、こんな碓氷に圧し掛かられた状態を見られるのもまずい。


普段の碓氷であれば教員が戻ってきた段階でどいてくれるだろうが、今の碓氷はどんな行動に出るかわからない。
ここですると言っているのも、決して冗談や脅しではなく本気で言っている。
それ程に今の碓氷は不安定だった。何かを押し殺しているのが、ひしひしと伝わってくる。


「頼むから、ここではやめてくれ……。何でもするから!!」
「何でもするの?本当に?」
「ああ、約束する。だからここでは……」


半泣きになって訴える美咲を碓氷はしばらく見つめていたが、溜息を一つ吐いて「わかった」と呟いた。
そして美咲の上から体を起こし、床に置いてあった鞄を手に取る。


「鞄は持ってきてるからこのまま帰れるよ。このままウチに来れるよね?」


疑問形ではあるが、有無を言わさぬ口調に美咲は黙って頷く。
そのまま身支度を整え、二人は碓氷のマンションへと向かったのだった。






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