策略と口実2





碓氷は湯船に浸かり、ゆったりと足を伸ばした。
髪も体も洗い終え、後は美咲が入ってくるのを待つばかりだ。


大学生になり、泊まりに来る機会は増えたものの美咲の激しい抵抗により『一緒にお風呂』という野望は果たせないままだった。
このままでは一生無理だろうと思って今回の策略を練ったのだが・・・
(ちょっと、やりすぎたかな・・・)
怯えた美咲の様子が脳裏をよぎる。
ホラーが苦手だという事はわかっていたが、あそこまで怯えるとは思っていなかった。
自分の観察力の甘さに少しだけ後悔しつつ、それでも諦める事はできなかった。
――もう一つの計画のためにも。


そんな事をつらつら考えていると、扉の向こうに人の気配がした。
こちらの様子をうかがっているのか、入ってこようとはしない。
何度か扉の取っ手に手を伸ばすのが磨りガラスを通して見えたが、伸ばされた手は取っ手に触れることなくすぐに引っ込められてしまう。
しばらく観察していたが、時間をおいて同じ事を繰り返すばかり。この調子だと、夜が明けてしまうだろう。それに、怖がらせすぎた負い目もある。
入口に背を向けるように姿勢を変え、出来るだけ優しく聞こえるように声をかけた。
「見てないから入っておいで」
暫しの沈黙を経て、少しだけ扉が開く音がした。恐らく扉の陰からそっと顔を覗かせて、本当に見ていないかどうか伺っているのだろう。
その様子を想像して、思わず振り返りたくなるがぐっとこらえる。ここで信頼させなければ、彼女は絶対に入ってこない。
完全に背中を向け、全く動かない様子を見て安心したのだろう。扉が更に開く音と、ひたりと濡れた床を踏む音が耳に届いた。そして、扉が閉まる音。
「・・・絶対にこっち向くなよ」
美咲の固い声が反響して、風呂場という空間に一緒に居る事を実感する。きっと真っ赤な顔をして、体を隠したタオルを握り締めているのだろう。
手に取るように彼女の今の状況が想像でき、「はいはい」と軽く返事をしつつも自然と頬が緩む。
付き合い始めて2年程。ずっと一緒に入りたいと言っていたのに、頑なに拒まれ続けていた。それがやっと今日叶ったのだ。
出来ればこんな形ではなく美咲も同意の上で今の状況に持っていきたかったのだが、今回は仕方がない。
理性を総動員してシャワーで体を洗う美咲へ背を向けつつ、予定していた台詞をつぶやいた。
「実は俺もホラーあんまり得意じゃないんだよね」
「え?だって見たいって言ったのお前だろ?」
そうなんだけどね、と溜息交じりに返す。少しだけ悔しそうに聞こえるように。
「好きなんだけど、苦手なんだよね。ほら、怖いもの見たさってやつ?だから、ホラーを見た後のお風呂が悩みの種でさ・・・」
「その気持ちは全く理解できんが、お前にも苦手なものってあるんだな」
何だか嬉しそうに返された言葉にこっそりほくそ笑みつつ、「まぁ、俺も人間だしね」と軽く流した。











こちらを向かないように再度念を押し、碓氷と背中合わせに湯船に浸かる。
少し狭いが、確かにあんな映画を見た後だったら一人で入るよりもよほど安心できる。
気を許せる人間が背中ごしにいるというだけで、やはり随分と違うものだ。
それにしても、碓氷に弱点があるなんて意外だった。しかも自分と同じだなんて。
それをわざわざ見たいという部分は理解できないが、幽霊とかそんな実態のないものがいたら嫌だという気持ちはよくわかった。
――だから、この後の碓氷の質問にも全く疑いを持たずに頷いてしまっていた。





「ねえ、鮎沢。おばけが一番苦手なものって何か知ってる?」
「え?やっぱり神社の御札とか、お守りとか・・・?」
思いつくまま苦手そうなものを挙げると、「ちがうよ」と否定された。
「おばけってね、人間の生きようとするエネルギーが一番苦手なんだってさ。試してみる価値はあると思わない?」
「いや、試すのはいいけど・・・そんな曖昧なもの、どうやって試すんだよ」
碓氷の言いたい事はわかるような気がするが、試すと言われてもどうするのか全く想像もつかない。まさか、どこぞのアニメのように気を溜めるとでも言うのだろうか。
「いい方法があるんだけど、どうしても鮎沢の協力が必要なんだよね。協力してくれる?」
内心首を傾げつつも承諾の返事を返すと、碓氷の腕がゆっくりと動き始めた。
背中合わせに座っていたはずなのに、いつの間にかこちらを向いていたらしい。
何をするのかと咄嗟に身構えると、突然脇腹のあたりをそっと指先でなぞられた。・・・明らかに妖しげな動きで。
突然の刺激に思わず体がびくりと跳ね上がる。
「やっ・・・何する・・・あぁっ!!」
抗議の声を最後まで紡ぐことができず、浴槽の縁へと縋り付く。
「人間の生きようとするエネルギーって、してる時が一番強いらしいよ。元々子孫を残したいっていう行為だし、そのせいかもね」
しれっと説明を続けながら、碓氷の指は敏感な場所の刺激を与え続ける。時折引っ掻くように擦られ、その度に快楽が波のように押し寄せた。
「もしおばけがいたら嫌だよねー。俺も毎日使う場所だから、不安だし。・・・だから、協力よろしくね?」
碓氷が何か言っているのが聞こえるが、理解する前に頭からこぼれおちてゆく。
「な・・・にを・・・あっ、んぅ・・・・やぁ・・・」
言葉を紡ごうと口を開いても、全て意味をなさない喘ぎ声へと変わってしまう。
「その代り、いっぱい可愛がってあげるから、安心してね」
碓氷の言葉が、その夜美咲の理性が聞いた最後の言葉だった。





美咲が目を覚ますと、外はすでに日が昇り切り明るくなっていた。
一度開けた瞼を閉ざし、布団へと潜り込む。
気分的にはよく寝たような気がするのに、疲労がとれていない。体が重く、微かにのどの痛みもある。
(風邪でもひいたか?確か昨夜は、珍しく碓氷が見たい番組があるって言って一緒に見て、その後お風呂に・・・)
そこまで考えた所で体の不調の原因に思い当たった。
昨夜の事がまざまざと脳裏に蘇り、みるみるうちに顔が熱くなる。
あっという間に追い上げられ、何度も昇り詰めては突き落とされた。
お風呂から上ってからもベッドで散々苛められて。あれだけ鳴かされたら、喉だっておかしくもなるだろう。体が重いのも当然だ。
(そうだ、学校・・・!!)
はっとして枕元の時計に目をやると、既に9時を指している。・・・まずい。
慌てて身を起こそうとしたものの、伸びてきた碓氷の腕に阻まれて布団の中へと逆戻りしてしまう。
「起きろ!講義に間に合わない!お前も確か同じ授業取ってただろ!?」
掠れた声で叱咤すると、「今日は休講だよー。教授ぎっくり腰だってさ」とのんびり返された。
「一昨日の夕方、掲示板に貼り出されてたんだけど美咲ちゃんお昼には帰っちゃったでしょ?昨日伝えるの忘れてた」
1限目が休講なのであれば、今日は学校に行かなくても大丈夫だろう。
ほっとして体の力を抜くと、碓氷に抱き寄せられた。心地良い温もりと慣れた香りに包まれ、瞼を閉じればあっという間に睡魔が襲ってくる。
うつらうつらしていると、碓氷が何事か話しかけてきた。
「ホラーを見た後って、しばらく怖かったりするんだけど今回は全然大丈夫だったんだよね」
そうか、良かったじゃないか、とぼんやりした頭で返事をする。
好きなものを見る事が出来ないのは辛いだろうし、怖いのも可哀想だし。
「じゃあさ、今度から俺がホラーを見た後は一緒にお風呂に入るって約束してくれる?きっと安心して眠れると思うんだよね」
ああ、と返事をして、少しだけ首を傾げる。今、とてもまずい事を言ったような気がする。
でも、碓氷は嬉しそうだし、眠いし。きっと大丈夫だろう。



『約束』を突きつけられて、全てを思い出した美咲が真っ青になるのはそれから1週間後の事。







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