差し出された林檎を受け取ると、林檎の触れた掌から何かが体に広がった。
甘くて、苦くて、まるで毒のような何か。
手を離したくても何故か指はぴくりとも動いてくれず、体にどんどん広がってゆく。
私が私でなくなってゆく――。





禁断の林檎3





零れ落ちた美咲の涙を舐め取り、虎は口角を釣り上げた。
不安定になっている事はわかっていたので、香を利用して不安を煽った。
とどめのつもりで放った言葉ではあったが、面白い程効果があったようだ。
今の涙が暗示の鍵になるだろう。
はっきり意識が戻った時には、彼女は作られたシナリオを現実だと思い込む。
最後の仕上げさえしてしまえば、暗示の解除は事実上不可能だ。――例えあの男であっても。
あとは、既成事実を作るだけ。既成事実さえ作ってしまえば、暗示の仕上げなどどうとでもなる。
真っ直ぐな黒髪に指を通せば、さらりとした感触が指の上を流れた。
そのままこめかみに指を移動させ、ゆっくりと頬を伝い顎のラインをなでる。
顎先まで辿り着いた指先を上へ滑らせ唇を左右になぞっていると、誘うように薄く唇が開かれた。
その様子を見て、自然と虎の口角が吊り上がる。
正直、この香木を入手した時は催淫効果など信じてはいなかった。
何を馬鹿な事を、程度にしか考えていなかったし、暗示も香りになど頼らず自分の力だけでかけるつもりだった。
試すのであればいい機会だと思って使用してみたが――予想外に絶大な効果があったようだ。
持ってきた者の評価を改めなければならないだろう。
そして、生徒会室に隣接されたこの仮眠室には、前もって香を強めに焚いておいた。
ほぼ意識がないような状況とはいえ、十分に楽しめるに違いない。
唇をなぞっていた指はそこを離れ、ゆっくりと首筋を撫で下ろしてゆき襟元へとたどり着いた。
探り当てたリボンの留め金を外し、ベッドの下へ適当に放る。
胸元のボタンを2つほど外して首筋へ舌を這わせると、彼女の口から先ほどと同じように甘い声が漏れた。
ただし、先ほどとは違って抵抗はない。意識はあるだろうが、深い暗示の中にいるのだろう。
その反応に気を良くして柔らかな肌をきつく吸い上げると、「やっ・・・」と声を上げて体が跳ねた。
香の効果か肌は上気して赤く染まり、ゆるく開いた瞳は涙で潤んでいる。普段の姿からは想像もできない程の色香を纏った女がそこにはいた。
だが、その瞳は決して自分を見る事はない。視線は自分を通り過ぎ、どこか遠くを見つめている。
赤く熟れた唇も甘い声を漏らすばかりで、自分の名前を呼ぶ事はない。
――征服欲、というものを久々に感じた。
自分に言い寄ってくる女は大体こういった行為に慣れていて、数少ない慣れていない女でもそれを望んでいる者ばかりだった。
そんな言いなりの女を抱いても、欲望のはけ口にはなれど征服欲など感じる事もなく。
決して自分を見ようとしない美咲を見て、久々に心底屈服させてやりたいと思った。
遠くを見ている眼をこちらに向けさせ、自ら求めさせたい。乱れさせたい。――名前を呼ばせたい。
その感情のままに、胸元を強引に寛げる。ボタンが弾け飛んだが、そんな些細な事はどうでも良かった。
現れたキャミソールを無理やり引き裂くと、下着と白い肌があらわになった。
あの男にすら見せた事のないだろうと思うと、白い肌がまるで雪原のように思えて踏み荒らしたい衝動に駆られた。
脇腹の辺りに唇を寄せ、息を吹きかけると肌が泡肌立つのがみてとれた。同時に痙攣するように体を震わせ、息を飲む気配がする。
そのまま彼女の脇腹に顔をうずめ、息を深く吸い込むと――香水の香りなどではない柔らかくて甘い香りに、頭の芯が痺れた。
そして同時に、常につきまとっていた不快な感情が薄れたような気がした。
この女と話している間は気が紛れる程度だったものが、突然和らいだのだ。
物心ついた頃には既につきまとっていた、「苛立ち」という不快な感情。時折気が紛れる事はあれど、和らぐなど初めての事だった。
・・・余程、この女は自分にとって面白い反応をしているらしい。そう結論付け、甘い香りを更に吸い込む。
思えば香水をつけていない女を抱くのは初めてかもしれない。だから、今までずっと女の甘い香りは香水によるものだと思っていた。
情事の後に残る香りは全て香水のもので、その種類で近づいてくる女のタイプを判別している節もあったから今まで感じていた甘い香りが全て香水によるものだという判断は間違っていないだろう。
だが、この女は違う。香水の香りではなく、肌自体から甘い香りがするような気がした。
試しにそのまま脇腹を舐め上げてみると、じわりと汗が滲み香りが一層強くなる。
そして強くなった香りは、確実に自分の頭の中を蝕んでゆく。
媚薬を盛ったのは女にだけだというのに、まるで自分も一服盛られたような気分になる。
目の前の肌に再度唇を寄せ、噛みつくように吸い上げると毒々しいまでの赤が散った。
再度感じた「踏み荒らしたい」という衝動のまま、いくつも痕を残す。
腹から徐々に上へ上がり、胸元からほっそりとした首筋まで。
行為が終わった後でも、鏡を見るたびに自分の事を思い出すように。
白い肌に花弁のように散った痕を眺めて満足したところで、いつの間にか自分の体を押し返すように美咲の両手が自分の胸板に当てられている事に気がついた。
嗜虐芯に駆られて邪魔な両腕を掴んで顔の横で押さえつけると、いやいやと幼子のように首を振られ。
――その行動に、更に煽られた。
両手首を頭上に纏めて片手で縫い留め、顎を強く掴んで固定する。
そしてそのまま、唇に荒々しく口づけた。
温かくて柔らかな感触に、眩暈がするようだ。
まだ誰の色にも染まっていないなら、自分の色に染めてやれ――
そんな事が頭を過った次の瞬間、轟音を立てて扉が弾け飛んだ。








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